獅子ヶ谷 横溝屋敷
2005.08.03
横溝家は慶長年間から、獅子ヶ谷村の名主をつとめてきた家です。
江戸時代には、鶴見川の周辺で水田を開墾していたようです。
明治になると横浜港から輸出される生糸やお茶の生産を始めました。
主屋の二階では、養蚕がおこなわれました。
名主の身分は百姓です。
名主という名は関東地方の呼び方で、
関西では庄屋、
北陸・東北では肝煎といいます。
獅子ヶ谷の地名は、熊野権現の獅子舞を受け持った事に由来すると伝えられています。
江戸時代末期から明治時代中期にかけて作られた、茅葺き屋根の母屋・表門(長屋門)・穀蔵・文庫蔵・蚕小屋からなり、横浜市の指定文化財になっている。
『昔、正面玄関から入れるのは当主と嫡男だけでした。
嫡男以外の家族は、兄弟であっても勝手口から出入りした』そうです。
(祖母談)
母屋の裏には土蔵が

裏手から「みその公園」に続く坂道に
お社がありました。

でも急斜面で
前にまわる事すら出来なかった。
道路端に祠を発見しました。
詳細は判りません。
詳細キボンヌ!
道を間違えて永昌寺に着きました。

永昌寺と言う名前は臨済宗にも多く見られる感じがしますが、
ここは1622年に声庵守門大和尚によって開かれた曹洞宗のお寺。
先ずは大きな木と水子地蔵が迎えてくれます。
本堂左手には丘の上に平和観音があります。
階段の横には不思議な斜面が…まさか車椅子用じゃないですよね…無理!無理!
昔、この峠は鶴見から諸岡・綱島へ抜ける唯一の街道でした。
獅子ヶ谷市民の森の中、上神明社に行く途中にあります。
1718年(享保3)の建立。
お堂の入口の柱にある後生車と呼ばれる小さな木車(→印)を回すと、
六道の苦しみから救われると信じられてきました。
車地蔵
伝説によれば、夜中に木車がひとりでに回るそうで、
土地の人々はお地蔵さんが回していると信じられていた。
お地蔵さんも厄祓い?…いやいや、住民の皆さんの後生安楽を願っているのでしょう。
平成8年に横浜市の指定文化財となりました。
車地蔵から峠道を登り、頂上付近の路地を左手に入って行くと上神明社があります。
由緒書きなど見つかりませんでした。
誰か教えて